『紛争でしたら八田まで(1)』(モーニングKC)田 素弘  講談社

(文星芸術大学非常勤講師:石川 展光)

日本で一番わかりやすい「地政学」のテキスト

 いきなりではあるが、読者諸兄は以下のことをご存知であろうか。

(1)スイスの「永久中立」とは、何処とも戦争をしないというのではなく、侵攻された場合のデメリットの大きさを掲げた武装国家である。有事の際には焦土作戦さえ厭わず、国民全員が兵士となるためのマニュアル「民間防衛」を全家庭に配布している。

(2)2022年ワシントン・ポスト紙は、コロンビアで「コカインの合法化」を検討していることを報じた。コロンビア側は直ちにそれを否定したものの、2019年の調査では、世界の総生産量コカインの64%、コカの栽培地の3分の2がコロンビアと言われている。

(3)世界的アイドルグループ「BTS」に代表される韓国のエンタメビジネスは、人口5000万人規模の半島国家である韓国の切実な国家的生存戦略である。我が国のJ-POPがK-POPに敵わないのは、J-POPが日本国民内で需要を確立している為である。

 もし一つでもご存知なかったら、是非『紛争でしたら八田まで』をお読みいただきたい。本作は、現在『Dモーニング』(講談社)で連載中(既刊17巻)の青年漫画で、フリーの地政学リスクコンサルタント、八田百合(はったゆり)が、世界中で巻き起こる諍いを「地政学」と「プロレス技」で解決する。

 ウクライナ侵攻、イランとイスラエルの紛争、台湾有事の可能性、シリア内戦、マリ北部の紛争等々、世界には様々な「諍い」が存在するが、この漫画では世界の紛争や内戦はもとより、ヤンキーの抗争や少年サッカーの試合にまで及ぶ。そしてその全てに「地政学」が内在するというのである。

 作品の中で主人公の八田百合は「地政学」の定義を以下のようにまとめている。

“地球全体をマクロな視点で捉え、半永久的に変化しない地理的条件に注目して、世界各国の意思決定や行動・関係性を分析する学問”(コミックス8巻・54ページ)

 その上で、この学問は我が国の国家首脳陣や外交に不可欠なものであるが、第二次大戦敗戦後は研究者が公職追放され、あるいは研究自体がタブーとされたということまで語っている。またさらに、地政学の基本として、隣国同士は対立する、敵の敵は味方である、国家の行動原理はその「生き残り」の為である、という定義まで示される。

 こんなに大事なことを漫画で教わるとは思いもよらなかった。しかもこれを地方のヤンキーの抗争を解決する回で説いているのである。米中間の趨勢など、目下非常にデリケートなトピックスの内容は、こういった卑近な事案のなかで解説してくれるのも本作の魅力である。